@article{oai:meilib.repo.nii.ac.jp:00000082, author = {黒木, 國泰}, issue = {3}, journal = {宮崎学園短期大学紀要, Bulletin of Miyazaki Gakuen Junior College}, month = {}, note = {折からの暴風雨のなか、元禄2年(1689) 7月16日に高鍋藩屏田村(宮崎県児湯郡川南町)沖で広東高洲唐船が座礁、破船した。この時の高鍋藩史料の手抄本にもとづき、前稿「元禄2年に高鍋藩屏田村沖で難破した唐船について(上)」(『宮崎学園短期大学紀要』第2号)において、この難破唐船の乗組員78人の内で生存した63人と唐濡荷を回漕し、長崎入港直前の8月15日に高ほこ嶋に到着するまでを取り上げた。これを第1次長崎回漕船団と呼んでおく。小稿では、この第1次船団が翌日8月16日に長崎で唐人達や濡れ荷物などを長崎奉行に引き渡す顛末について記述する。さらには、この第1次船団が下関に到着している頃8月10日に、第2次回漕船団が、帆柱などの唐船船糟などを長崎に回漕するために、屏田を出発した。翌11日に美々津を出航して長崎に無事に届け、9月17日に高鍋藩に帰着するまでの第2次回漕船団について取り上げることとする。}, pages = {105--122}, title = {元禄2年に高鍋藩屏田村沖で難破した唐船について(下)}, year = {2010} }