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アイテム
M.ヴェーバーのFr.ナウマンとの対話的関係の一局面について ―「倫理と政治」の関係性認識をめぐるヴェーバーの政治教育認識の批判的実践―
https://meilib.repo.nii.ac.jp/records/2000216
https://meilib.repo.nii.ac.jp/records/20002169c622d45-4147-4c53-81b2-61538cae7d58
| 名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
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| アイテムタイプ | 紀要論文 / Departmental Bulletin Paper(1) | |||||||
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| 公開日 | 2025-12-19 | |||||||
| タイトル | ||||||||
| タイトル | M.ヴェーバーのFr.ナウマンとの対話的関係の一局面について ―「倫理と政治」の関係性認識をめぐるヴェーバーの政治教育認識の批判的実践― | |||||||
| 言語 | ja | |||||||
| 言語 | ||||||||
| 言語 | jpn | |||||||
| キーワード | ||||||||
| 言語 | ja | |||||||
| 主題 | 政治教育 | |||||||
| キーワード | ||||||||
| 言語 | ja | |||||||
| 主題 | 職業としての政治,権力を求める闘争 | |||||||
| キーワード | ||||||||
| 言語 | ja | |||||||
| 主題 | 倫理と政治 | |||||||
| キーワード | ||||||||
| 言語 | ja | |||||||
| 主題 | 教育学の脱政治化 | |||||||
| 資源タイプ | ||||||||
| 資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 | |||||||
| 資源タイプ | departmental bulletin paper | |||||||
| 著者 |
河原, 国男
× 河原, 国男 (a)
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| 抄録 | ||||||||
| 内容記述タイプ | Abstract | |||||||
| 内容記述 | 本稿はマックス・ヴェーバー(1864-1920)がみずからの政治教育の認識(河原2010)をその生涯においてどのように実践したか、という問題をとり上げ、Fr.ナウマン(1860-1919)とのかかわりにその実践が示されている一面に着目し、その特質と意義を解明した。 両者は政治的に同志の関係にあることが知られている(P.Theiner1988)。そして、この関係を維持するとともに、同時代の政治状況に積極的に発言しながら、ヴェーバーは「自由主義」の政論家であり、「職業政治家」でもあったナウマンに対して「戒め」「助言」「支援」等の指導的な、あるいは啓発的であった(Kaesler2014,Spael1985)。 本研究はこうした先行研究の知見をふまえ、両者の関係、特に、ナウマンに対するヴェーバーのかかわりが『職業としての政治』(1919)に示された、みずからの政治教育認識の実践であることを論証した。すなわち、対話的関係を通じて、「学者」ヴェーバーは、ナウマンが「政治家」たろうとし、現に帝国議会議員として職業政治家となった行動とその認識について、諸局面(新党創設、新皇帝の退位)で批判的に問題にした。その際、倫理によって政治を実践しようとしていること、行為結果に対する責任感が希薄であることを、ヴェーバーは問題提起した。その根底には、権力行使を通じての「闘争」という“政治的なるもの”の本質的契機の認識がナウマンにおいて欠如しているという認識があった。 以上のようにヴェーバー政治教育思想に焦点化してその実践対象としてナウマンに対するヴェーバーの関係を捉えた場合、「倫理と政治」との関連を理論的に論じるニーバーの「利他的衝動のみならず利己的衝動に対しても、道徳的是認を与える」という所見(1932)を、ヴェーバーは先取りしていた。そのような特質のヴェーバーの政治教育の実践は、同時代の教育学者たちが「教育の自律性」の名のもとで示していた「教育学の脱政治化」(Entpolitisierung der Pädagogik)とは対極的な方向に位置づけられる。こうした特徴が際立ったが、他方で、「政治的成熟」の観点から両者の人格的関係そのものを捉えれば、―ヴェーバーの主観的意図とは別に―成人間で、ナウマンの方が若干年年長であるが、H.ノールの意味で、ヴェーバーはナウマンに対して「教育的関係」を保ち、その点で「教育の自律性」を実現していた側面もあった。こうした両極性(ホフマン1970)を示していた点で、ヴェーバーの政治教育の実践は、ドイツ政治教育思想史の空白を埋める証跡として意義づけられる。 |
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| 言語 | ja | |||||||
| bibliographic_information |
ja : 宮崎国際大学教育学部紀要 教育科学論集 巻 12, p. 28-75, 発行日 2025-12 |
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| 出版者 | ||||||||
| 出版者 | 宮崎国際大学教育学部 | |||||||
| 言語 | ja | |||||||
| 出版者 | ||||||||
| 出版者 | Miyazaki International University school of Education | |||||||
| 言語 | en | |||||||
| item_10002_source_id_9 | ||||||||
| 収録物識別子タイプ | EISSN | |||||||
| 収録物識別子 | 2188-7896 | |||||||